「水玉の恋」について 〜水着とスイカ(Run Girls,Run!) 歌詞考察〜
こんにちは。
最近かなり気に入っている曲があり、今回はその曲について書いていきたいと思います。
タイトルにもある通り、Run Girls,Run!の「水着とスイカ」という曲です。
僕は少し前にWUGにはまったわけなんですが、その中で思ったのが、只野菜摘さんの詞がめちゃめちゃいいなぁということ。
WUGの中でも只野さん作詞の「16歳のアガペー」→「セブンティーン・クライシス」→「ゆき模様 恋のもよう」の三曲の流れはかなり気に入っています。
16歳のアガペーについては以前書いてるのでよければそちらもどうぞ。
そんなこんなでもっと只野さんが作詞した曲を聴きたいという思いで、この曲にたどり着きました。
(まぁもちろん、WUGの後輩ということで、雰囲気が似てたらいいなぁなんてことを思っていたのも理由の1つですが。)
もう最初に言っちゃいますが、この曲の中の「水玉の恋」って表現がかなり好きで、この表現は天才だと思うんですよね。
「16歳のアガペー」に匹敵するぐらいすごい言葉だと思います。
そんな僕の思いに少しでも共感してもらえたらいいかなぁと思いつつ、早速本題に入りたいと思います。
一応目次も
この曲について
この曲は四季曲と呼ばれている呼ばれている四曲のうち一番最後に発売された曲のようです。
その四季曲というのが
「サクラジェラート」→「秋いろツイード」→「スノウ・グライダー」→「水着とスイカ」
の四曲。
季節が春→秋→冬→夏という流れになっていて違和感があるかもしれませんが、発売順に並べるとこのようになり、内容的にもこの順番が一番いいと思います。
この四曲を通して、一つの物語を描いているわけですね。
やっぱり、曲の間につながりがあるような曲は詞を読んで楽しいですし、かなり明確につながっている上に4曲もあるということで、嬉しい限りです。
軽く概要を話しておくと、
この四季曲の主人公ちゃんは駅からバスで30分もかかるような町外れに住んでいる箱入り娘。
もちろん髪なんて染めたことないし、門限まであるような感じ。
両親にかなり大事に育てられているわけです。
そんな主人公ちゃんは幼馴染の「きみ」に恋をしているのですが、彼には別に好きな子がいるようで、いつまでも幼なじみの関係のまま。
主人公ちゃんの秘めた胸の内が4曲に渡って綴られています。
ちなみに彼の好きな子は四季曲の中で「ピンク」という言葉で表現されており、都会に住み私立に通いながらバレエを習うような女の子のらしい。
主人公ちゃんにとって「ピンク」は自分とは遠くかけ離れた存在に感じているようです。
彼への思いを日々募らせる中、彼は冬に都会へと転校して行ってしまうんですね。
この引っ越しについてはスノウ・グライダーという曲で書かれていますが、今回は深く触れずに。
そして、春が過ぎ彼の転校から最初の夏休みに何人かで集まって海に行くことになったわけですが、そこでの出来事がこの曲に描かれています。
曲の概要についてはこのぐらいにして歌詞全文を見て行きたいと思います。
その前にちょっと余談を挟んでますが、飛ばしてもらって結構です。
(余談)
一見、この四季曲はメインとして恋に焦点が当てられているわけではあるんですが、もっと大きなテーマとして現状からの脱出という思いがあると思います。
都会への憧れだったり、過保護気味な両親から脱して大人になりたいって思いだったり、ちょっと髪を染めて遊んでみたいって気持ちだったり、恋への憧れだったり。
そんないろんなものへの憧れ・不満の発現としての恋という面もあるのではないかと思います。
ちょっと表現するのが難しいんですけど、いろいろなものへの憧れを、恋をすれば大人になれるんじゃないという思いのもとで、恋と勘違いしてるような側面もあるのではないかということ。
つまり何が言いたいかというと、
初恋判定委員会としてはこの恋は真の意味で初恋ではない可能性も十分にあるということ。
本当になんとなく感じた印象なのでうまく説明できないんですけど、この子はちょっと環境が変わればすぐに次の恋に行けそうな気がします。
幼なじみへの片想いがテーマのように見えるけど、それを通して青春の最中にある主人公ちゃんの感情ってのも絶妙に描かれてるように思いますね。
以上余談でした。
歌詞全文
水着とスイカ
歌:Run Girls,Run! 作詞:只野菜摘 作曲:石濱翔(MONACA)
それでは歌詞全文を見て行きたいと思います。
まずは一番
きみも来るって噂にきいた
友達の家に泊まるってきいた
お引っ越しから最初の夏休み
みんなで集まるはじめての海
昨日あせって冒険したんだ
ビキニデビューギンガムチェック
誰か連れてきたのかなチェック
誰も連れてきてないなピンク
(まさかの軽いラップ調で慣れるのにすこし時間がかかりました)
スノウ・グライダーでの引っ越しの件もそうでしたが、今回もきみから直接聞いたわけではなく、噂で”きみ”が来ることを知るってのが切ないですね。
多分直前になって彼がくることを聞いたんでしょう。
前日に勇気を出してのビキニデビュー。
いいですねぇ。
そして、きみがピンク(=彼女)なんかを連れてきてたりしたらどうしようなんてことも心配していたわけですが、そんな心配は杞憂に終わったようですね
きれいな子はたくさんいる
バレエとか習ってたり
きみが住んでる都会に住んで
私立に通うような
ここでまさかのセリフパート
この表現は今までの四季曲の中にも使われているピンクのイメージを語ったものですね。
ピンクのことを思いつつ、現状の自分に劣等感を感じている感じでしょうか。
裸足のまま歩いてくるのは
どこか知らない顔してる人
ペットボトルを探すふりして
笑いながらバッグを弄った
ここでようやく例のきみが登場するわけですが、引っ越した半年の間にすっかり都会に染まってしまったのでしょうか、主人公ちゃんの知っている彼ではなくなっているようですね。
もちろん彼に声をかけるつもりでいたのでしょうが、変わってしまった彼を前に とっさに声をかけられずごまかしている感じですかね。
早く早く小麦色になりたい
脚も胸もまだ白すぎるからはずかしいな
いや、白い肌も需要あると思いますよって感じなんですけど、そんな話じゃないんですよね。
多分この肌の白さってのは箱入り娘感というか、初な感じというか、遊び慣れてなさみたいなものの象徴としての白で 、主人公ちゃんにとっての軽いコンプレックスみたいな感じだと思います。
つまり、肌の白さそのものをへの恥ずかしさというより、そこから感じられる印象に対する恥ずかしさのように思います。
水着とスイカ砂の空白
それぞれ好きな場所から見つめている
水玉の恋ぽつんぽつんと
私たちまだ距離が離れている
そしていよいよ、サビ
このサビは後で出てくるスイカ割りのシーンについてなので、とりあえずここは一旦スルーして、後で語りたいと思います。
まっすぐ見つめないでよ
まっすぐ見つめられないよ
今日のギンガムチェック
ママがかってくれたんだ
誰よりもきみの理解者でいたいと
自分にいいきかせた
溶けるジェラート
会いたかっただけ
もういいの
そしてサビの終わりにまたまたセリフパート。
ここの所には今までの三曲の歌詞が使われてますね。
冒険したギンガムチェックのビキニなんですけど、買ってくれたのはママということで、まだまだ抜け出せなそうな感じが漂ってますね。
最後の「もういいの」が、すでに恋の終わりを感じさせる気がします。
スイカ割りがはじまった頃は
肩先も頬も熱を帯びる
右回りさせてくれた感触を
振りはらうように当てにいく
私はきっとおこってたんだ
淋しかったいろんな季節に
水着をぬいで秋がきたなら
地味な子へと戻ってることに
ここでスイカ割りの様子が詳細に描かれます。
海に着きひと遊びして、少し落ち着いたところで、定番イベントのスイカ割り。
夏の陽射しに灼かれて真っ白な肌が少し赤らみ、火照っている感じですかね。
(熱を帯びるって表現、微熱を感じるので無条件に好きです。)
目隠しをしてスイカを割ろうとする主人公ちゃんの肩を掴み方向修正をしてくれる”きみ”。
そんな手の感触を振り払うように、そして今まで片想いで我慢して過ごした寂しかったいろんな季節への怒りを込めた一撃を振り落とすわけですね。
「私はきっとおこってたんだ」は後に続く
・「淋しかったいろんな季節に」
・「水着をぬいで秋がきたなら 地味な子へと戻ってることに」
の二つにかかっていると思うんですが、後半の方の意味がよくわからないんですよね。
ビキニビューで冒険してみたけど、依然として変われそうにない自分に対するものって感じなのでしょうか。
ここはまた時間をおいて考え直したいと思います。
強く強くはじけながら割れたよ
それはたぶん誰にも気づかれない想いだった
ここは先ほどの想いを込めた一撃により割れたスイカに自分の密かな片想いを重ねてる感じですね。
割れたってとこからも恋の終わりを感じますかね。
水着とスイカ砂の空白
それぞれ好きな場所から見つめている
水玉の恋ぽつんぽつんと
私たちまだ距離が離れている
そしていよいよ本題のサビ。
スイカ割りのシーンを一度読んでからの方がいいと思ったので、先ほどは省略しました。
まず、一文目なんですけど、「水着」、「スイカ」、そしてその間を埋める「砂の空白」
この三つの言葉をぽんぽんぽんと並べてる感じが、なんとも言えない距離感を生んでる気がします。
ここでの水着は水着を着たみんなのことですね。
そして、中心にスイカがあり、その周りでみんながつかず離れずのなんとも言えない距離感で、砂浜に座ってスイカ割りを見守る様子。
これを上から見た感じがちょうど水玉みたいであるということで「水玉の恋」という表現が生まれてるんだと推測されるんですけど、この発想が本当にすごいと思います。
水玉ってことでお互いの絶妙な距離感が表現されている上に、点が2つでは水玉になれないので他にも何人かいることがわかるんですよね。
今回はこの主人公ちゃん目線の曲ですが、一緒に来てる友達たちにもそれぞれにいろんな想いがあるんだろうなぁってことまで感じられるのもいいなぁと思いますね。
お互いがお互いにいろんなことを想って意識しあって形成される水玉なんですよね。
めっちゃよくないですか????
また会いたいねなんて連絡するよなんて
嬉しいことを言われてゆるしてる
今度会った時には期待されてるような
女の子ではないかもしれないよ
彼に言われたこの言葉、本心なのかお世辞なのか。
どちらなのかわからないけど、やっぱり嬉しくなって、今までのことなんか許しちゃう感じ。
今年の夏はビキニデビューの大冒険をしたわけですが、それでもまだ変われそうにない自分を予感しているんですかね。
水着とスイカ水玉の恋
ずっと忘れないずっと忘れない
水着とスイカ砂の空白
それぞれ好きな場所から見つめている
水玉の恋ぽつんぽつんと
私たちまだ距離が離れている
それでもねずっとずうっと忘れないよ
「それでもねずっとずうっと忘れないよ」
そして最後は主人公ちゃんの恋の終わりを感じられる、この言葉で四季曲が締めくくられるわけですね。
まとめ
「水玉の恋」という言葉がめちゃめちゃ気に入ったということで、自分なりの現時点での解釈を書いてみました。
ちょっとなかなか自分の感じた微妙なニュアンスが言葉にできなくて、ちょっと納得いかないですが、水玉の恋の良さを少しでも感じてもらえれば嬉しいですかね。
また、只野さんの曲で気にいるのがあれば文字に起こしたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。